信頼と繋がり
ひと昔前は
お友だちの、
お父さん、お母さん
ご近所のおじちゃん、
おばちゃんは
みんな
顔馴染みの「大人」で、
子どもたちが
心許せる相手でした。
出会えば
『大きな声でご挨拶』
それが礼儀だと教えられ
また、教えてきました。
それが、
いつの間にか
“誰も信用してはダメ”
と教えなければならない
時代が到来し、
子どもたちは
伏し目がちに
無言で
通り過ぎて行きます。
それでも、
今でも
ある地方では、
子どもたちが下校する
時間になると、
町内に,『ただ今より
児童が下校します。
皆さま見守りを
お願いします』
と、有線放送が流れています。
すると、
黄色い帽子をかぶった
子どもたちは
帰路の行く先々で
『おかえり』の声を聞き、
『ただいまー!』
『帰りました』と
応えます。
砂利道で転び
膝をすりむいて
泣いている子がいれば
顔を知らない子であっても
直ぐに走り寄って
傷の具合を見たり、
意地悪を言っている子を
諭したり。
それは
“過干渉”というのでしょうか?
見守られているという
安心感と
見られているという
自戒の念
時に優しく
時に厳しい
人の目が
「防犯カメラ」という
機械に
変わりつつあります。
子どもは
子どものまま、
生身のからだも
無垢の心も
何も変わって
いないのですが・・。
変わってきたのは
(変えてきたのは)
大人の方かもしれません。
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